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すみませんでした。ありがとうございました。

先日、僕の恩師が亡くなりました。

僕が小さい頃、テニスの楽しさを教えてくれたコーチ(以下オバタコーチ)です。

*この記事は思い出話と自分への戒めですので、読まなくても大丈夫です。

オバタコーチとの出会い

僕は元々サッカーをしていました。

小学校4年生の頃、所属していたサッカーチームが小学校3年生までのチームだったので、高学年のチームに行くか他のスポーツをするかの選択をしないといけなくなりました。

うちには"必ずスポーツをする"という家訓?というかルールがあったので、その事をキッカケに色んなスポーツクラブやチームの見学に行きました。

剣道・柔道・空手・サッカー・テニス、、、など

とりあえず剣道・柔道・空手は痛そうだったのでやめました。

そして家のまぁまぁ近くにテニスクラブがあったのと、父親が元々テニスをしていた事もあり、テニスをすることにしました。

そうすれば父親ともプレー出来るし、痛くなさそうだし。

そこで、出会ったのが強面のおじさんコーチで僕の恩師オバタコーチです。

オバタコーチも僕も左利きで、オバタコーチはテニス界ではかなり有名な方でした。

当時は小さかったので有名な方って事は全然知らなかったです

オバタコーチも自分の功績についてはほとんど話さなかったですしね。

テニスのスタイルは超フラットで、スピンをかけたりは全然してませんでした。

そして、そのテニスクラブには水曜日のナイターと日曜日に通うことになりました。

ケンタ走れ

水曜日のナイターはほとんど年上やおじさんしかおらず、小学生の僕とあと数人の小学生と一緒にレッスンを受けていました。

日曜日はキッズレッスンみたいな感じで、同じくらいの歳の子やもっと小さい子も居ました。

球出しで左右に振り回される練習で、「ケンタ走れ~!」と言われていて親もその言葉をずっと覚えています。

僕が打った球が浅くなると「ケンタチョビはやめれ~!」とボールを深く入れるように何度も言われました。

オバタコーチ曰く僕にはセンスがあったらしいけど、気合と根性が無いから試合に出ても勝てないんだと良く言われましたね笑

そして、いつのまにか僕も左利きのフラット系のスタイルになりました。

試合会場にオバタコーチが車で連れて行ってくれた時、車内に浦安鉄筋家族の漫画があったので読んでいたら汚いシーンがたくさん出てきて酔ったのは今でも忘れません。

その時の試合はボロ負けだったと思います。

中学~大学+オーストラリア留学

中学生になった僕は、金銭的な理由と部活がソフトテニス部しか無いという理由でテニスクラブを辞めて部活に入りました。

オバタコーチには「硬式テニスに戻った時の為に、後衛をしておきなさい。」と言われ後衛になりました。

*ソフトテニスには前衛と後衛があり、後衛は基本的に後ろで相手と打ち合う人です。前衛はその打ち合いの中に飛び出してボレーやスマッシュで点を取りに行く人です。

実はオバタコーチもソフトテニスあがりでした。

高校に入ると思っていた通り硬式テニスを再開しました。

オバタコーチに会いにテニスクラブに行って、少しコートで打たせてくれたのですが、ソフトテニスをずっとしていたので全然ダメでショックだったのを覚えています。

特にバックハンドは打ち方も違うのでヒドかったですね。

高校ではテニス部に入っていたので最初の頃はテニスクラブには行っていませんでした。

途中でもっと上手くなりたいと思い、小さい頃通っていたテニスクラブとは違うテニスクラブに通いだしました。

何故違うテニスクラブを選んだのかというと、強い人が居たから・同世代の生徒が多かったからです。

そして大学に進学してからもテニスを続けました。

体育会系の部活に入り、毎日のようにテニスをしていました。

なんとオバタコーチは僕が所属していたテニス部のOBでした。

大先輩です。

大学を出てからテニスをすることは減りました。

卒業後はオーストラリアに1年ちょっと居て英語の勉強をしていました。

そんな中テニスがどうしてもしたくなり、親にラケットを送ってもらって、そのラケット1本と拙い英語力をひっさげてテニスクラブに乗り込みました。

“Can I join?”

“Of course”

テニスのおかげで海外でも友達ができ、テニスのおかげで人間的にも身体的にも成長できました。

帰国後、ちょっとニートになってバイトを始めてオバタコーチのところに行きました。

僕が小さかった頃と変わらず、オバタコーチはクレーコートに水を撒いていました。

そこで元気か?とか今何をしているのか?とかの話をして最後に

「いつでも遊びにおいで」

と言ってくれました。

「はい!遊びにきますね」

僕が今どんな打ち方でどんなテニスをしているのかオバタコーチに見て欲しかったです。

が、僕は行きませんでした。

仕事にWebの勉強に自分がやりたい事をやったり、当時付き合っていた遠距離の彼女の所に行ったりしてました。

1ヶ月に1回でも、半年に1回でも行けたのに。。。

そして先日、佐賀のテニスクラブで働いてる友人からヒッティングを頼まれて久しぶりにテニスをしに佐賀に行った時です。

その友人から、

「オバタさん、亡くなったらしいよ。」

僕は一瞬固まりました。

「え、、、?」

「いつ亡くなったの?オバタさんってあの、コーチの?」

「そうだよ。先月だね。」

その後、僕は全力で平然を装いながらヒッティングの相手をして、帰り道一人で運転中に思いが込み上げてきました。

久しぶりに泣いた気がする。

泣くとスッキリするもんです。ほんと

お悔やみ

テニスクラブにお悔やみに行きました。

テニスクラブにつくと、会員さんがテニスをしていて、沢山車が停まっていました。

ホースを持って水を撒いているコーチの姿を思い出します。

奥さんにも久しぶりに会うので、覚えてるかな?と不安になりつつ、中に入ると奥さんはちょうど家に帰ったみたいでした。

家はテニスクラブの近くだったので、会員さんが場所を教えてくれて、電話で今から僕が行くことを伝えました。

新築の綺麗な家で先月末出来たばっかりらしく、引っ越しもまだ終わっていなかったです。

奥さんは「久しぶりね~!来てくれてありがとうね。」あったかく迎えてくれてお茶を出してくれました。

お仏壇には立派なオバタコーチの写真と綺麗なお花が飾られていました。

奥さんは遺骨が入った箱も見て、悲しそうに笑いながら

「こんなんなっちゃったよ。」

オバタコーチの前では泣かないと決めていた僕は、時たま上を見上げたり、そっぽ向きながら奥さんと話をしていました。

オバタコーチの人生と思い出を。

話をしていると奥さんの目からは涙が溢れてました。そして何度も

「ごめんね。今日は泣かないって決めていてもまだ泣いちゃうんだよね。ははは。」

と謝っていました。

僕は必死に涙をこらえながら

「大丈夫ですよ。」

オバタコーチは長いことガンと闘っていたらしく、何度も手術をして肝臓を切ったり大腸を切ったり他にも転移した箇所を切っていたそうです。

オバタコーチは相変わらず、ずっとテニスをしていて、ガンが見つかったのも大会前に便に血が混ざっていたのがキッカケだそうです。

血便が出た次の日に試合に出て、その後に病院に行ったみたいです。

ガンが見つかってからも、ずっとテニスを続けました。

大腸を切った後も大会に出続けて、なんとその年はほとんど優勝したらしいです。

優勝回数が多くてテレビに取り上げられたくらいです。すごいですね。

その時オバタコーチは

「なんか調子良いんだよね!戻ってきた!」

と言っていたそうです。

そして、また肝臓に2cm程のガンが見つかり、それが大事な大会の前だったようで、、、

色々あったみたいですが、オバタコーチは大会にでました。

そして優勝しました。

ほんとに強い人です。テニスも心も体も。

そしてガンが5cmになっていました。

治療もだんだんと難しくなり、もうこれ以上治療はできないレベルまで来てしまい、お医者さんにこれ以上治療は出来ないと言われると、オバタコーチはとても悔しがっていたそうです。

「俺は負けない!まだ闘えるのに、、、!」と

治療してる時もテニスクラブでレッスンをしていて、体が動かせない時はフェンスを修理したり、コートの外から眺めていたそうです。

「前までは俺も動けてたのになぁ」 とボソッと言っていたそうです。

そして緩和ケアに入りました。

足は象みたいに腫れ上がったり、お腹に水がたまって思うように体が動かせなくなってきたみたいですが、毎日コートに行きレッスンをしていたそうです。

お医者さんにも「どうにか水を抜けんもんかね~?もっとテニスがしたいよ。」と言ってたそうです。

ある日、「今日はきついから」と言って横になって寝ていたそうです。

そして、娘さんが様子を見ている時に呼吸が止まり、奥さんが駆けつけて名前を呼んだ時、一度だけ息を吹き返し、それが最後の息になったそうです。

亡くなる2日前までレッスンをしていたらしいです。

ほんとオバタコーチらしいですね。

天国でもテニスしててくださいね。

また会った時になまってたらいけませんよ。

テニスへの思い

最近はテニスクラブが乱立してて、マニュアルどおりにただ教えるところが増えてきています。

別に悪いことではないですし、否定はしません。

ただ、オバタコーチは会員さん一人一人情熱を持って「勝たせたい!強くなってほしい」という思いでレッスンをしていました。

自分自身も沢山大会にでて、毎回試合で学びを得ていたそうです。

「これもせないかんし、あれも上手くならないかん!勉強は終わらないな!」と言っていたそうです。

会員さんの中には「心にぽっかり穴が空いた感じです」という方も沢山いるそうです。

オバタコーチが最後の方に「みんなに体大事にしろよって言っといて。俺みたいにならんごと」と言っていたそうです。

そして、「みんなはどうしてるのかなぁ?」と

誰の事か奥さんは聞けなかったそうで、未だに誰の事だったのか気になってるみたいです。

僕たち昔のレッスン生の事だったんですかね。。。

(*奥さんとの話も紹介していますが、かなり端折っています)

教訓

  • 失ってからではもう遅い。

  • 出来るなら今やれ。今行け。

これですね。

ずっと後悔してます。

オバタコーチが生きている間に、テニスクラブに遊びに行かなかったことを。

ほんとバカですよね。

大事なものを見失っていました。

こうなってからでは遅いのです。

大事な存在が、明日も存在しているのかは誰にもわかりません。

失ってから始めて気づく、、、じゃあもう遅いんですよね。

痛感しました。

今年分の涙は流したと思うので、今年は誰も僕の事を泣かさんといてくださいね。

最近アンビリーバボーとかの感動ストーリーとかでも泣きそうになるけど。

じゃあオバタコーチ。

ありがとうございました。

そして、遊びに行かなくてごめんなさい。

テニスを全然してなくてごめんなさい。

一応まだ健康なのでオバタコーチの代わりにテニスしますね。

テニスの楽しさを教えて頂いてありがとうございました。

また一緒に打ちましょうね。

超フラットで。

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